2012年03月29日
元指導校の定期演奏会
昨日の午後は仕事のお休みをいただき、以前東京で指導していた中学校の定期演奏会を聴きに行きました
東京といっても会場は所沢のホールで行われ、普段は電車だと池袋まで行くのですが、今回は普段使わない川越経由で行ってみました。
でも個人的には川越も指扇もいろいろと想い出があるので、車窓の景色を見て物思いに更けながら、ゆっくり向かいました。
この学校は当時かなり力を入れて指導しながらも、事情により3年前に後輩に託すことになり、もう私が指導した頃の生徒は誰もいませんが、会場の手伝いや、聴きに来た卒業生達に逢えたのは嬉しかったです。
現役当時は恐くて近寄れなかったらしいのですが(苦笑)休憩中などに皆ちゃんと挨拶に来てくれて、にこやかに話ができました。
ん?私はにこやかだと思ってますが…皆はぎこちなかったのかな?(私を見つけて避けずに皆笑顔で話しに来てくれたのだから良しとしましょう!笑)
演奏会は、歴代の私が考えた流れを尊重してくれている様子も感じられ、変わったところも感じられ、精一杯演奏する現役生徒の様子も感じることができました。
実は、この学校は今年度のコンクールで例年の結果よりも低い評価をいただき、自分がいた頃から比べてレベルが下がったのかとずっと不安に思っていて、今日も心配して来たのですが、この演奏会を最後まで聴いてみて、生徒の技術や士気が下がったのではなく、前回のコンクールの評価は、選曲の問題によるところが多かったのではないかと聴いていて感じられ、生徒達の晴れやかな笑顔をみて少し不安が解消されました。
部活動はコンクールの評価だけでは決して測れませんが、運営をする上で避けて通れないところが必ずあるので、来年度は更に頑張って欲しいと期待しています。
個人的な思いとしては、今まで吹奏楽やクラシックなど、何百という演奏会を見聞きし携わってきたので、演奏会の流れ、マナー、考え方など、こうあるべき、こうした方がよいという知識が先行してしまい、今回に限らず特にアマチュアの演奏会には不満を感じる事が多く、自分自身が素直に演奏会を楽しめず、自分の嫌な部分でもあります。
例えば、プログラムに載せる順番。プログラムとはその日の演奏曲や曲の解説を前面に載せ、ゲスト以外の出演者が載るのは最後なのが前提で、まして顧問やスタッフを前面に採り上げるのは、良くないと考えられます。
演奏会内での祝電・花束の紹介についても、紹介する順序にも配慮するべきでしょうし、「演奏をする場」の演奏会で、メンバー紹介や指揮者等への花束贈呈などは、観客にとって本来必要無い時間であって、やるにしても最小限、または演奏を聴きに来てくださる方が退屈しない工夫と配慮を意識しておく必要があると思います。
司会、進行役をつける場合も、文章の内容や話すスピード、間の取り方で演奏会全体の印象が悪くなることが多いように思います。
ちなみに、演奏会の司会で「次は~の曲をお送りします」というセリフがよく使われていますが、本来「お送りします」は放送用語で、電波を使うラジオやテレビでは有効でも、生の演奏会で使うのはおかしいということです。
正直なところ、演奏者は精一杯やるのは義務でも、観客の立場でアマチュアの演奏会に演奏レベルの期待をしてはいけないと思うので、演奏内容についてはそれまでの努力が感じられれば良いと考えるのですが、曲と曲の間や、演奏会の流れが止まる様な進行をしないように、注意することがとても大切だと感じます。ステージリハで曲の練習ばかりやって、演奏会の流れに注意する団体が非常に少ないように感じられ、演奏内容以前に残念に思う団体が多いように思います。
でもこれは、例えば中高生の演奏会の場合、演奏する学生の問題というよりも、指導者やスタッフなど大人の配慮の問題だと思うので、内輪ウケに気付かず配慮のできない大人が人前で演奏することに自分はイライラするのだと思います。
(注※上記内容は今回の演奏会に限定して指摘しているのではありません)
と、何とも偉そうなことを書いてしまいましたが、観客100人いたら100通りの考えがあるし、自分がその意志と配慮を持っていても、それができているかは疑問、またそれを逆に不満とする人もいると思うので、自分も常に注意して音楽活動をして行きたいと思います。
ただ、人に聴かせる音楽である以上、配慮と感謝は常に持っていないと音にも表れますね。
このところ、Jazz活動が多かったのですが、この後4.5.6月は吹奏楽やマーチングの依頼が増えそうな気配があるので、感覚を戻さないと、と少々不安になっている今日この頃です。
東京といっても会場は所沢のホールで行われ、普段は電車だと池袋まで行くのですが、今回は普段使わない川越経由で行ってみました。
でも個人的には川越も指扇もいろいろと想い出があるので、車窓の景色を見て物思いに更けながら、ゆっくり向かいました。
この学校は当時かなり力を入れて指導しながらも、事情により3年前に後輩に託すことになり、もう私が指導した頃の生徒は誰もいませんが、会場の手伝いや、聴きに来た卒業生達に逢えたのは嬉しかったです。
現役当時は恐くて近寄れなかったらしいのですが(苦笑)休憩中などに皆ちゃんと挨拶に来てくれて、にこやかに話ができました。
ん?私はにこやかだと思ってますが…皆はぎこちなかったのかな?(私を見つけて避けずに皆笑顔で話しに来てくれたのだから良しとしましょう!笑)
演奏会は、歴代の私が考えた流れを尊重してくれている様子も感じられ、変わったところも感じられ、精一杯演奏する現役生徒の様子も感じることができました。
実は、この学校は今年度のコンクールで例年の結果よりも低い評価をいただき、自分がいた頃から比べてレベルが下がったのかとずっと不安に思っていて、今日も心配して来たのですが、この演奏会を最後まで聴いてみて、生徒の技術や士気が下がったのではなく、前回のコンクールの評価は、選曲の問題によるところが多かったのではないかと聴いていて感じられ、生徒達の晴れやかな笑顔をみて少し不安が解消されました。
部活動はコンクールの評価だけでは決して測れませんが、運営をする上で避けて通れないところが必ずあるので、来年度は更に頑張って欲しいと期待しています。
個人的な思いとしては、今まで吹奏楽やクラシックなど、何百という演奏会を見聞きし携わってきたので、演奏会の流れ、マナー、考え方など、こうあるべき、こうした方がよいという知識が先行してしまい、今回に限らず特にアマチュアの演奏会には不満を感じる事が多く、自分自身が素直に演奏会を楽しめず、自分の嫌な部分でもあります。
例えば、プログラムに載せる順番。プログラムとはその日の演奏曲や曲の解説を前面に載せ、ゲスト以外の出演者が載るのは最後なのが前提で、まして顧問やスタッフを前面に採り上げるのは、良くないと考えられます。
演奏会内での祝電・花束の紹介についても、紹介する順序にも配慮するべきでしょうし、「演奏をする場」の演奏会で、メンバー紹介や指揮者等への花束贈呈などは、観客にとって本来必要無い時間であって、やるにしても最小限、または演奏を聴きに来てくださる方が退屈しない工夫と配慮を意識しておく必要があると思います。
司会、進行役をつける場合も、文章の内容や話すスピード、間の取り方で演奏会全体の印象が悪くなることが多いように思います。
ちなみに、演奏会の司会で「次は~の曲をお送りします」というセリフがよく使われていますが、本来「お送りします」は放送用語で、電波を使うラジオやテレビでは有効でも、生の演奏会で使うのはおかしいということです。
正直なところ、演奏者は精一杯やるのは義務でも、観客の立場でアマチュアの演奏会に演奏レベルの期待をしてはいけないと思うので、演奏内容についてはそれまでの努力が感じられれば良いと考えるのですが、曲と曲の間や、演奏会の流れが止まる様な進行をしないように、注意することがとても大切だと感じます。ステージリハで曲の練習ばかりやって、演奏会の流れに注意する団体が非常に少ないように感じられ、演奏内容以前に残念に思う団体が多いように思います。
でもこれは、例えば中高生の演奏会の場合、演奏する学生の問題というよりも、指導者やスタッフなど大人の配慮の問題だと思うので、内輪ウケに気付かず配慮のできない大人が人前で演奏することに自分はイライラするのだと思います。
(注※上記内容は今回の演奏会に限定して指摘しているのではありません)
と、何とも偉そうなことを書いてしまいましたが、観客100人いたら100通りの考えがあるし、自分がその意志と配慮を持っていても、それができているかは疑問、またそれを逆に不満とする人もいると思うので、自分も常に注意して音楽活動をして行きたいと思います。
ただ、人に聴かせる音楽である以上、配慮と感謝は常に持っていないと音にも表れますね。
このところ、Jazz活動が多かったのですが、この後4.5.6月は吹奏楽やマーチングの依頼が増えそうな気配があるので、感覚を戻さないと、と少々不安になっている今日この頃です。
Posted by てっしー at 17:28│Comments(0)
│音楽(吹奏楽・クラシック・その他)の部屋
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